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ファーストストリートノース
Community Control of Land is Self-Determination and Liberation
Little Tokyo Service Center
Los Angeles, CA
Little Tokyo Service Center
Los Angeles, CA
A film still from First Street North. Kuniharu Yoshida crosses First Street in Little Tokyo, Los Angeles.
日本人の書道家兼ヒップホップダンサーの芳田訓晴(Kuni)氏は、2018年に日系文化会館とサステイナブル リトルトーキョーが共催した、リトルトーキョーサービスセンター(LTSC)と+LABのアーティストイン レジデンスの一人に選ばれました。
芳田氏は、リトルトーキョーに住む高齢者を対象に、社会からの孤立をなくし、コミュニティへの帰属感を高めてもらうことを目的とした書道のワークショップを数多く開催しました。アーティスト イン レジデンスでは最終的に高齢者の書道展、短編フィルム「心の書(Calligraphy of the Heart)」の作成、ファーストストリートノースでの書道パフォーマンスの実施、そして賞を受賞した短編フィルム「ファーストストリートノース」の作成を行い、歴史と歴史的建造物保護について調査することができました。アーティスト イン レジデンスになって以来、日米文化会館との1年間のプログラム「書道フォ- リトルトーキョー」で高齢者向けのワークショップを継続し、および「小東京の窓(Windows of Little Tokyo)」やリトルトーキョーサービスセンターのテラサキ武道館の委託アーティストとして、熱心な取り組みを続けてきました。現在はリトルトーキョーの住民として自治会の代表を務める、リトルトーキョーが誇る書道家です。
グレース、「心の書」(2018)の芳田氏の書道ワークショップ参加者。
(写真: Ken Honjo)
「このブロックを我々の手に取り戻し、地域により深く根差していくため、このアーティスト イン レジデンスプログラムは文化を活用する方法として捉えました。」
スコット・オオシマ サステイナブル リトルトーキョー プログラム ディレクター、日米文化会館
(写真: Daren Mooko)
これは、アートや文化とコミュニティ開発の架け橋となる、リトルトーキョーサービスセンターの様々なストーリーの1つです。リトルトーキョーサービスセンターは、歴史あるジャパンタウンの市所有地のコミュニティキャンペーンを進めながら、アーティストとのコラボを行い、この地区の文化やクリエイティビティを深める活動を行っています。
ロサンゼルスのリトルトーキョーは、米国に 3つ残存する歴史あるジャパンタウンの1つで、日系アメリカ人だけではなく、この地区に関わり続けてきた様々な有色人種コミュニティの文化的な拠り所となっています。リトルトーキョーのアイコンともいえる、ファーストストリートノースのブロックは、これまでもこれからも自決を目指すこの地区の取り組みの最前線であり、中心であり続けます。
差別的な赤線引き(特定地域住民への融資に関する投資差別)や協定はあったが、1884年にリトルトーキョーは活気づくようになった。1941年の真珠湾攻撃の後、リトルトーキョーに住む日系アメリカ人は、強制収容所に収容されました。第二次世界大戦中、リトルトーキョーはブロンズビルと呼ばれ、黒人移民が集まり、ジャズや文化の拠点となりました。1950年代、ロサンゼルス市が土地収用権を用いて、この地の黒人住民の多くを含む、リトルトーキョーの相当部分を立ち退かせました。この動きは、リトルトーキョーの再開発計画地域で1970年代まで続きました。現在、リトルトーキョー歴史地区の背後にあるファーストストリートノース ブロック全体が市の所有地となっています。立ち退きや制度的人種主義の歴史に関わらず、リトルトーキョーには今日まで続くアクティビズムとアドボカシー(権利擁護)の長い歴史があります。
ファーストストリートノースから、強制退去させられるリトルトーキョーの住民の当時の画像および現在の同ストリート。
現在の「クリエイティブ・プレイスメイキング(創造的な場所作り)」の動きが生まれる随分前から、リトルトーキョーが日系アメリカ人コミュニティとして持続していくための取り組みにアートや文化を通じたコミュニティの表現がありました。ファーストストリートノースブロックに限定すると、「思い出の小東京(Memories of Little Tokyo)」(1996)は、この歴史ある地区の歩道にシーラ・レブラント・ド・ブレテビルとソニア・イシイが作った時の流れを示すアートインタレーションです。1998年にリトルトーキョー サービスセンターは、由緒ある日系アメリカ人教会と旧ピルグリムハウスをユニオンセンター フォー ザ アートに改築し、イーストウェストプレイヤーズ、ビジュアルコミュニケーションズ、LAアートコア、チューズデイナイトカフェといった施設を迎え入れています。
チューズデイナイトカフェ
米国で最も歴史あるアジア・太平洋諸国系米国人(AAPI)の自由参加型のステージパフォーマンスシリーズの1つ。
Atomic Nancy recreates her famed punk and new-wave bar “Atomic Cafe” from the 1980s in the pop-up space in 2019.
現在のファーストストリートノース キャンペーンは、2013年に立ち上げられた、サステイナブル リトルトーキョーというリトルトーキョーに残された公有地に向けた地区全体のイニシアチブとビジョンから生まれたものです。この地区はその建造物の管理を求めて数十年も戦いを続けていますが、アートや文化はその戦略の中心的な役割を果たしています。たとえば、上記のアーティストレジデンシー、そしてリトルトーキョーサービスセンターが所有する、商業店舗に設けられた一時的なコミュニティポップアップスペースである341 FSNなどが、このよい例といえます。このスペースは、異なるコミュニティ団体に提供され、パフォーマンス、展示会、ワークショップ、スモールビジネス、会合、その他コミュニティが希望する活動に使われました。ファーストストリートというロケーションのおかげで、ローカルアーティストをサポートし、このブロックで見たいものを展示したり、グループとしてこのスペースの共同体意識を高めることができました。
サステイナブル リトルトーキョーのアート@341FSNは、341 1st Street にあるリトルトーキョーサービスセンターの店舗スペースを使った例の1つです。2018年~2019年に、様々なコミュニティ団体がこのスペースを利用し、パフォーマンス、展示、ワークショップ、ミーティング、その他のコミュニティイベントが行われました。リトルトーキョーの中心地というロケーションから、ここは幅広い層の既存の利害関係者やビジターと繋がりを持てる理想的な場となりました。このプロジェクトは、ファーストストリートノースが直面する存続の危機やこの歴史的地区の将来に向けたコミュニティのビジョンに関し、市民への啓発と教育を行いました。
(写真: Scott Oshima)
「私にとって、この委員会のメンバーと協力して…仲間やお年寄りと共に学ぶことは、自分のルーツへの帰属感や連帯感、そしてここで培われてきたことを継続していく責任感をもたらしました。…このプロジェクトに参加することは、私たちの文化的アイデンティティや実際のクリエイティブなスペースを取り戻す取り組みに重要な最初の一歩になると感じました。」
トミ・クニサキ、341 FSNアーティスト、サステイナブル リトルトーキョー
目標
ファーストストリートノース ブロックの共同体管理を提唱する
サステイナブル リトルトーキョー コミュニティのビジョンを練り直し、提唱する
アーティストや文化の担い手をコミュニティのリーダーとして支援する
低所得層の住民、高齢者、事業主など、プランニングの過程から除外されることが多いコミュニティのメンバーと結びつき、力づける
アートや文化的なプログラムを通して、コミュニティを築き、啓発する
コミュニティ団体やグループとのパートナーシップを強化し、育てる
教訓
アーティストは一からプロジェクトの開発とプロセスに参加しなくてはならない —当人不在で企画されたプロジェクトの実施をアーティストに委託するのではありません。意義のあるコラボレーションや共同創作には、時間、コミュニティの深い経験、クリエイティブで予想外のプロセスや結果への信頼が求められます。
パートナーシップと長期的な協力関係が重要。 リトルトーキョーサービスセンター+LABのアーティストレジデンシーのアーティストは、長い歴史を持つ文化団体である日米文化会館(JACCC)、全米日系人博物館(JANM)、ビジュアルコミュニケーションズ、サステイナブル リトルトーキョーの共催で生まれました。アーティストはまた、3か月間ダイマルホテルに滞在し、ファーストストリートノースで生活することで、地区を深く経験することも求められました。アーティストは長年その土地に住む住民達と、コミュニティとの結びつきを求めるイベントを開いた集合的なワークスペースで場所や時間を共有しました。
失敗から学ぶ。 リトルトーキョーサービスセンター+LABの#mayFSNプレースマットは、ファーストストリートノースと地元レストランの使い捨てプレースマットのキャンペーンで使われたアートワークです。短い時間で事業主との調整が難しかったため、このプロジェクトはレストランとのパートナーシップなく企画されました。最終的に、レストラン事業者は、その大胆なメッセージを快く思わなかったため、そのプレースマットは使用されませんでした。リトルトーキョーサービスセンターは、プロジェクト開発の最前線で意義のあるコミュニティの参加やコラボの重要性を学びました。
実験的な遊びスペースを作る – 実際のスペース、プロセス上のスペースの両方。リトルトーキョーサービスセンターは、341 FSNの店頭をフレキシブルな文化的スペースとして1年間にわたり無償で貸し出しました。アーティストやコミュニティパートナーは、スペース、プログラム、その使用に一切の権限を付与されました。このスペースで生まれたプログラムの多くは今日まで継続しており、コミュニティ開発における文化的スペースがもたらす大きな影響力を示しました。